インタビュー企画 ピックアップ がんばる人間工学家
第11回
樋口 拓郎
花王株式会社 包装技術研究所
私たちの生活に欠かせない洗濯用洗剤や掃除用品でおなじみの花王株式会社。そこで、生活者のことを日々考えながら奮闘する樋口拓郎さんを取材しました。これまでのご経歴やお仕事を通して、樋口さんの考える日用品の理想像と現場のリアルについてお話を伺いました。樋口さんがこれまで関わられたいくつかの製品は人間工学グッドプラクティスデータベース(GPDB)へ登録されており、また、全国大会(第63回、第66回)での広報委員会企画シンポジウムに登壇いただくなど、学会でも精力的に活動いただいています。
「使いやすさ」とは
- 山田:
- お仕事について伺います。
- 樋口:
- 弊社花王では、皆さんがよくご存じの日用品を取り扱っています。日用品は人が手に取るものです。初めに容器を触る、そしてそこから中身を出す、というのが基本的な使い方だと思います。人が手に扱うということは、持つ、握る、もしくは開けたり閉めたり、そういう作業が必要です。そうすると当然、人を考えた設計というのはしなきゃいけない。それを従来から検討してきているのが花王という会社です。有名なところでは、シャンプーやコンディショナーのボトルの側面についている「きざみ」です。目が見えない方や、頭を洗っている状態で目が開けられない場合でも容器を識別することができます。花王ではきざみを実用新案で出願しましたが、出願を取り下げて、多くの方々に使っていただくために広めてきました。容器だけでなく、クイックルミニワイパーのような道具製品も同様に、使う人が困らないように、というのが第1の命題だと思っています。
- 山田:
- ボトルの「きざみ」はとても有名ですね。
- 樋口:
- 私が思うに、「使いやすい」とは今は当たり前品質です。「使いやすい」という気持ちは使いにくくてそれが解決した時にのみ使いやすいと感じるのであって、何も考えずに使うものというのは決して使いやすいという気持ちにはならないと思います。だから何も考えずにできるモノこそ使いやすいのだと思います。何かを考えて、うまく工夫しないと使えないみたいなものは、決して使いやすいとは思っていません。使いやすいというものは当たり前品質として製品設計に取り組んでいます。
- 山田:
- 確かに、何も感じずに使うということは、使いやすさも感じずに使っているということになりますね。
- 樋口:
- 使いにくいと感じさせないように、うまく製品をつくっていく。それを言い換えると、使いにくくないものづくりということになると思います。ですから、使う人たちの特性や文化を考慮したものづくりを常に意識しています。
- 山田:
- 文化?
- 樋口:
- 現在、海外製品も担当させていただいていますが、単純に手に取って使うというだけでなく、その製品がどのような文化に即して使われているかということも検討する必要があります。また、使い終わった容器をどのように捨てるかなども踏まえて、使いにくくない設計を検討しています。
- 山田:
- 廃棄ですね。
- 樋口:
- 特に海外では、廃棄は以前にも増して規制が厳しくなっています。製品に使える材料も規制の対象です。でも、これは製品開発の腕の見せ所でもあります。例えばプラスチックの成型だと、材料に応じた技術を見直さなければならないでしょうし、環境に良いものというのは大概もろかったりします。だから,もろい材料でも壊れない成型が必要になってきます。それらに加えて文化を考えなくてはならない。日本で培ってきた「使いやすい」「使いにくい」「使いにくくない」が、そのままその国の文化に当てはまるわけではないです。その国々、文化に応じて、多くの方々にとって使いにくくない製品になるよういろいろと検討しているところです。洗剤がいい例です。国によっては洗濯機を使わずに手で洗う文化というのがあります。そうすると、日本で販売されているボトルが使いやすいのかどうかという疑問さえ当てはまらなくなってきます。また、収入層によっても使い方は変わってくる。そうすると、この製品を誰に届けたいかをベースにして、それらの人々にとって使いにくくないよう設計していく必要があると思います。
人間工学に取り組むきっかけ
- 山田:
- もともと人間工学に携わっていらっしゃったのですか?
- 樋口:
- いいえ、大学生のときは人がいなくてもよくなる研究に携わっていました(笑)工作機械や産業機械の制御に関する研究です。高速度化、高精度化で誰でもいいものが作れるようにするという。
- 山田:
- そうなのですね!?
- 樋口:
- 人間工学に関わるきっかけは、入社してしばらくしてから、クイックルワイパーの担当になったときのことです。クイックルワイパーを使いやすくするために、もっと学術的にも技術的にもしっかりやろうということで人間工学に関わるようになりました。ちょうどその頃、弊社でもそのような潮流があったのですが、最終的に私が担当することになりました。その延長線上に、GPDBに登録いただいたクイックルミニワイパーがあります。
- 山田:
- クイックルミニワイパーの開発は、新型コロナの流行もあったと伺いましたが、ユーザーを非常によく分析していらっしゃいました。
- 樋口:
- 私は、人間工学的な観点から評価・検討するだけでなく、製品設計自体もしています。クイックルミニワイパーは人間工学に取り組んだとても良い例だと思います。製品に重点を置いて設計すると、ユーザーの使い方が変わってしまう場合もありますし、負荷のかかる部品が壊れないように強くしすぎると使いにくくなるという場合もあります。そのため、実際にユーザーがどのように使っているのかをみて、設計して、それをまた使ってもらって設計に戻して、というサイクルを回して検討することが大切です。
- 山田:
- 人が道具を使うときには、道具に合わせて使い方を変えるというのはよくある問題ですね。
- 樋口:
- 人間中心設計は重要ですが、製品としてよいものをつくることとのバランスをどのようにとっていくかがもっと重要なポイントだと思います。一例として、掃除機とモップの違いを想像してください。掃除機をかけるときに体重をかけますか?モップがけをするときには体重をかけますね。掃除機に体重をかけると壊れてしまうということがあるかもしれません。そこで、クイックルワイパーです。クイックルワイパーは使う人の動作として掃除機とモップの間に位置する掃除道具です。壊れないという気持ちにさせすぎると体重をかけます。壊れるという気持ちになると体重をかけません。一方で、壊れるという気持ちは品質が悪いということにつながる。そのため、ある程度力をかけても壊れないように、そして少ない力でパフォーマンスが出せるように設計するというバランスが非常に難しい製品です。クイックルワイパーは、使う人の動きでの掃除機とモップの境界領域にあって使う人がどちらの使い方も自由にできてしまう製品です。その自由さ故に、力をかける人もいればかけない人もいる。これまで様々な方の使い方を見てきましたが、傾向として、ほうきのように使う方、掃除機のように使う方、モップのようにゴシゴシする方がいらっしゃいました。CMではスーッと使うような使い方をアピールしているのですが、ゴシゴシしたくなるようなユーザーもいらっしゃいます。日本の中でさえ使い方としての文化が多様です。そこの中庸をとるのはなかなか難しいですが、製品とする場合には使い方を限定するという方法が解決策だったりします。
- 山田:
- ウェットタイプのシートはゴシゴシしたくなります。
- 樋口:
- ユーザーの中にはそのように使う方は多いと思います。ただ、力を測ると、ウェットもドライも大差ないんです。初動で少し引っかかる感じがするからでしょうか、力をかけたくなってしまうようです。これが掃除道具の面白いところでもあります。
生活空間と実験空間での使い方の違い
- 樋口:
- クイックルワイパーを担当するようになってからびっくりしたことがあります。ドライタイプのシートは力をかけないイメージだと思いますが、住居によっては力をかけなければならなくなります。よくワックスをかけるお宅ではウェットよりもドライのシートのほうが力をかける必要があります。ワックスで滑りにくくなってしまうのです。フローリングの材質にも依るので一概には言えませんが、そのようなことがあります。このことがあってから、日用品は生活の多様性という観点で見なければいけないと思うようになりました。それで、ご自宅にモーションキャプチャーを持ち込んで、掃除の動作を測定しました。実験室と実際の生活空間での使い方が違う。実際には何が起こっているのか?という研究です。幸い、クイックルワイパーでは大きな違いはなく、実験室での使い方をみて設計に反映することができるのですが、製品によっては正しく評価できないものもあると。リビングラボのような実験空間も有用だと思います。
- 山田:
- やはり実際に測らないと分からないことも多いと思います。
- 樋口:
- 実験環境でもモデルルームのような広さは実際を反映できていませんね。ユーザーの皆さんに実験室にお越しいただくと、ウチはこんなに広くないというコメントをいただいたことがあります。それがきっかけで実環境に飛び込まないといけないと思うようになりました。
- 山田:
- 人間工学のアプローチを導入することで見えてきたことがあったということですね。
企業研究のやりがい:文化を創る
- 樋口:
- そうですね。もちろんすべてが見えてくる訳ではありませんが、見たい部分をしっかり捉える、リアリティーのある生きたデータが人間中心設計には必要です。開発する側としては実際にユーザーがどう使っているかは知りたいことですし、それは技術課題でもあるわけで、我々としてもその課題をクリアしてお客様により良い製品をお届けしたい。そして、製品の使い方を含めて、文化になるまでが最終的なゴールだと思います。皆さんが良いと思える何も感じないような製品にたどり着いて、皆さんが何も感じずにその製品に手を伸ばす。これができたら多分私は満足すると思います。そのためにはやはり売れるというのも1つの大切なことなんですよね。私の企業研究が良いと思うところは、文化をつくれるというところです。物が売れるということは、その普及そのものが文化になっていく可能性がある。製品を通じて文化に介入できるということが、企業研究のおもしろいところだと思っています。
人間工学との関わり
- 山田:
- いろいろと話を伺いましたが、人間工学に取り組んできてよかったことと苦労されたことをお聞かせください。
- 樋口:
- よかったことは、考え方の幅が飛躍的に広くなったということです。人間工学に関わる前に強度設計の仕事をしていたときには、ユーザーの使い方は思い込みでしかありませんでした。人はこう使う、柄にはこのくらいの力が加わるということに何の疑いも持ちませんでした。しかし、人間工学に取り組むようになって、製品としての考え方ではなく、人の生活としての考え方にシフトできている。知らないほうが幸せだったかもしれませんが(笑)。悩みは多くなりましたが、それでも私はよかったと思っています。
- 山田:
- 苦労していることは?
- 樋口:
- 周囲の理解が少ないということです。測って評価することの難しさがなかなか届かない。モーションキャプチャーを考えても、労力や大変さ、そしてデータの重要さを届けることが難しいです。
- 山田:
- 企業で人間工学に取り組んでいる方々からよく伺うことです。一方で、考え方の幅が広がるということもよく伺います。いままでとは異なる視点から見えてくるものは多いと思います。
- 樋口:
- 製品に対して使いたい―使いたくない、使う―使わない、の2軸で考えると、使いたくて使わない人、使いたくなくて使う人が企業での研究対象になるのではないかと思います。私が捉える人間工学は最適化です。ある枠組みにおいて一番いい答えを導き出す手段、方法論であると言ってもいい。つまり製品設計のためのデータを出していくプロセスが人間工学であり,その使いたくて使わない人、使いたくなくて使う人の生活や行動、文化などを見て知っていくことが重要であると思うようになりました。
- 山田:
- 今後の取組についてはどのようにお考えですか?
- 樋口:
- 今担当しているのが海外向けの容器ですので、やはりその文化に即した何か製品というのを実現できるようにしていきたいと思っています。現地の方がどのように生活しているのか分からないことばかりです。やることは山積していますが、これからも人間工学を活かして取り組んでいきたいと思います。
- 山田:
- また良い事例ができましたらお話を聞かせてください。今後の益々のご活躍を期待しております。



